3月31日に解散することが発表されたKAT-TUN。
現在は亀梨和也さん、上田竜也さん、中丸雄一さんの3人組ですが、グループのフロントメンバーである亀梨さんは解散同日にSTARTO ENTERTAINMENTから退所して、独立するとのこと。
そんな亀梨さんは2月14日、有料会員向けブログを更新し、ファンに向けてボイスメッセージを送りました。
「ハイフン(KAT-TUNファンの愛称)へ。今回このような結果になってしまったこと、心より申し訳なく思っています。本当にごめんなさい」
「最後までKAT-TUNの一員として誇りを持ち、過ごしていきたいと思います。悲しい想いをさせてしまったぶん、必ずそれ以上の笑顔を作っていけるよう、これからも歩んでいきます」
彼のメッセージには「申し訳なく」「ごめんなさい」といった謝罪や、「悲しい想い」といったネガティブな言葉があり、解散が決して前向きな決断ではなかったことが伝わってきます。
それもそのはず。亀梨さんはこれまで人一番グループ愛やファン愛を公言してきたアイドルだったからです。アイドルとしてプロフェッショナルだったからこそ、解散・退所という結論は苦渋の決断だったことは想像に難くありません。
――2006年に華々しくデビューしたKAT-TUNでしたが、旧ジャニーズ事務所アイドルのなかでも数奇な運命をたどってきたグループでもありました。デビュー時は6人組でしたが2010年に赤西仁さん、2013年に田中聖さん、2016年に田口淳之介さんが脱退していき、人数が半減してしまっていたのです。
ここからは亀梨さんが過去3人の脱退時にどんなコメントを残していたか、振り返っていきましょう。
2010年7月、赤西仁が1人目の脱退
2010年7月、1人目の脱退は赤西仁さんでした。
海外志向が強かった赤西さんがグループを脱退してソロ活動に専念すると発表。赤西さんはグループを抜ける理由を「方向性の違い」と語り、決してメンバーとの人間関係のもつれなどではなく、「みんな好きです」とコメント。謝罪と感謝の気持ちを述べていました。
KAT-TUNは赤西さんのグループ脱退が確定的になっている時期にライブツアーをスタートさせており、その際に亀梨さんは「5人なら5人の形で作っていくだけで苦労はしていません。2度目だからダメージは薄いですよ」とコメント。赤西さんはデビュー直後の2006年にもアメリカ留学で半年間グループを離れていたため、そのことを念頭に置いての発言でした。
そして亀梨さんは、赤西さんがソロツアーを行っていたことを踏まえて、「赤西が1人でライブを成功させたんだから5人でも成功させないと。ここからまたスタートだと思っています」と気丈に決意表明していたのです。
亀梨さん・赤西さん以外のファンのみなさんも納得していただけると思いますが、二人は「仁亀」と称され、グループ内でもとりわけ人気の高いツートップとして君臨していました。
亀梨さんとしては人気を二分していた赤西さんが抜けてしまうことで、ファンが不安を抱くことを懸念していたに違いありません。当時の亀梨さんの本心は彼にしかわかりませんが、たとえ大なり小なりの動揺があったとしても、それをファンや世間に悟られないよう、あえて強気な発言をしていたのかもしれません。