火野正平さんが2024年11月14日に75歳で死去したことが、20日に所属事務所から発表されました。彼は昭和のプレーボーイとして知られ、多くの男性有名人に影響を与えた存在でした。火野さんは腰痛の治療を受けていましたが、体調が悪化し、最後まで仕事復帰を望んでいたものの果たせませんでした。葬儀は家族のみで行われ、彼を支えてくれた関係者への感謝の意が示されました。
火野さんは1962年に子役としてデビューし、1973年のNHKドラマ『国鳥物語』でブレーク。その後も多くのテレビや映画に出演し、歌手としても活躍しました。最近では、NHKの番組『日本銃弾旅』に14年間出演していました。
彼の私生活では、火野さんが40年にわたり事実婚の妻と共に過ごしていたことが明らかになりました。しかし、彼は隠し子が6人いることも判明しています。遺言には「死んだらハワイで散骨してほしい」との希望が含まれており、実家や最初の妻に負担をかけたくないという思いがあったとされています。
火野さんの魅力はプレーボーイとしての側面だけでなく、女性たちとの関係においても特異でした。彼は多くの女性との別れについて「いつも女性の方から振られる」と語り、恨まれることはなかったと関係者は述べています。
また、彼は晩年においても多くのファンに愛され、親しみを持たれる存在でした。火野正平さんの生涯は、モテ男としての華やかな歴史だけでなく、彼の人間性や女性への接し方にも深い意味があったようです。彼の死は日本の芸能界において大きな損失となるでしょう。