「心中天網島」「瀬戸内少年野球団」「少年時代」など日本的な様式感覚で優れた映画を数多く残した映画監督の篠田正浩(しのだ・まさひろ)さんが25日、肺炎で死去した。94歳だった。葬儀は近親者で済ませた。
岐阜市出身。妻は女優の岩下志麻さん。
「昭和」という時代に徹底的にこだわり、戦中のスパイ事件「ゾルゲ事件」を映画化した2003年の「スパイ・ゾルゲ」を最後に、監督を引退した。
「心中天網島」「瀬戸内少年野球団」などで知られ、日本的な様式感覚で優れた映画を残した映画監督の篠田正浩(しのだ・まさひろ)さんが25日、肺炎で死去した。94歳だった。葬儀は近親者で済ませた。妻は俳優の岩下志麻さん。
岐阜市出身。早稲田大時代、箱根駅伝に選手として出場した経験を持つ。1953年に松竹に入社し、60年「恋の片道切符」で監督デビュー。脚色を寺山修司が手がけた2作目「乾いた湖」が高評価を受け、大島渚、吉田喜重監督らとともに「松竹ヌーベルバーグ」として話題を集めた。その後も、石原慎太郎原作「乾いた花」など前衛的な作品を発表した。
66年に松竹を退社し、翌年、岩下さんと制作プロダクション「表現社」を設立。人形浄瑠璃を映画化した「心中天網島」(69年)をはじめ、岩下さんが主演・出演する作品を多く撮った。名カメラマン宮川一夫とのコンビで「はなれ 瞽女 おりん」「瀬戸内少年野球団」を発表。86年の「 鑓 の権三」でベルリン国際映画祭銀熊賞(芸術貢献賞)を受賞した。
篠田さんの作品で助監督を務めた小栗康平監督は「業界の中で心を打ち解けて話ができる唯一の監督だった。頭だけで映画を作る人や、身体だけで乱暴な映画を作る人はたくさんいますが、深い教養と身体の両方を持った監督だった」と語った。
[評伝]日本とは何かを見つめ続けた
戦中のスパイ事件が題材の「スパイ・ゾルゲ」(2003年)で監督を引退し、復帰することはなかった。「もう撮りたいものもなくなった」。未練のない言葉に、積み重ねてきたキャリアへの自負がうかがえた。
1964年公開のスタイリッシュなヤクザ映画「乾いた花」は同時代の世界の映画人に影響を与えた。日本とは何かを見つめ、古典や歴史に題材を求めた「心中天網島」から、戦争の記憶をとどめた「少年時代」まで、自らの問題意識に従い、自在に作風を変化させてきた。技術においても映画の可能性を追求。「写楽」「 梟 の城」で当時の先端のCG合成に挑戦した。
2020年、戦後75年の節目に戦争中の思い出を聞いた。日本の芸能史、原発事故、コロナ禍まであちこちに脱線した話は気づけば2時間を超えた。一息ついた後、放った言葉が、しゃれていた。「僕もエンターテイナーだったわけですから。そんなに退屈はさせなかったと思ってますけど」